× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 森達也さんの「死刑」 を読んだ。東京でも珍しく一日中、外は雪。読書に集中するには適した日なのかもしれない。
だが、それなりの厚さの本を一気に読み終えたのは、雪のせいだけじゃない。以前、別の本で少しだけ死刑制度に触れて、あやふやなまま逃げていたからだ。 日本の処刑施設は国民への情報が極端に少ない。けど死刑制度は存在するし執行も行われている。 民意が制度を存在させているし、僕たちの税金で執行されている。 気付いていない、もしくは気付かないふりをしているけど処刑しているのは私たち国民だ。 この意味を私たちはもっと考えたほうがいい。 ネットでフセインの処刑の瞬間は全世界に流れた。手順や設備は異なるが日本も絞首刑だ。 どこか遠い国じゃなく、日本で行われている現実。 死刑囚がいて、執行人がいて、被害者遺族がいて、処刑場を作った人がいて、絞首用のロープをつくった人がいて。 全てがリアルに存在する。そのシステムの中に私たちもいる。 「存置」か「廃止」か答えは大きく2通りだけど、その答えまでの道のりは簡単じゃない。 制度・司法の不備を正すだけでは解決しない。倫理・哲学・文化を含め結局は感情に行き着く。 そして今現在、自分の気持ちは紙一重で「廃止」だ。今現在の時点では。
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